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秋葉原 由来 [東京都]

「秋葉原(あきはばら)」は家電製品やパソコン、アマチュア無線、鉄道模型などを売る店舗が多いことで知られる街です。最近では人気アイドルが歌って踊る劇場やメイド喫茶などでもお馴染みになっていますね。

秋葉原の地名は火伏の神様として信仰を集める「秋葉大権現」に由来します。秋葉大権現は秋葉山(遠江・現在の静岡浜松市)の山頂に祀られている秋葉神社の神様です。古来から秋葉山に棲む山岳神であり、三尺坊という修験者が神格化されたものという説もあることから「秋葉三尺坊大権現」と呼ばれることもあります。

信州出身の修験者であった三尺坊は、越後で修行中に行法によって天狗となりました。その後、観音菩薩の化身に秋葉山まで運ばれて安住の地と定めたそうです。三尺坊の三大誓願の一つに「我を信ずれば失火と延焼と一切の火難を逃す」とあるように「火の神」でもありました。

明治2年(1869年)、東京で大火が起こったため、事態を憂慮した明治天皇は現在のJR秋葉原駅構内(千代田区神田花岡町)に火伏(防火)の秋葉大権現を祀る神社を置くこととしたのです。それが現在の秋葉神社の前身である鎮火社でした。

鎮火社は秋葉大権現が祀られていることから、近隣の住民に「秋葉様」「秋葉さん」と呼ばれて信仰を集めることとなります。その住民の呼び名が「秋葉原」の地名の由来となったのです。


竹橋 由来 [東京都]

「竹橋」の由来の一つにもともとこの橋が竹を編んで架けられたものだから「竹橋」と名付けられたという説があります。また、後北条時代にこの橋の近くに家臣在竹四郎が住んでいたからという説もあります。

竹を編んで造られたとされる由来はいつ頃の話なのでしょうか。

それは1590年(天正18年)までさかのぼります。時代は徳川家康が江戸に入城したころのことです。「竹を編みて渡されしより」ということばが残されており、それがこの「竹橋」の由来ではないかと言われています。竹橋は歴史的な出来事の舞台にもなってきました。

「竹橋騒動」と呼ばれる出来事です。明治初期に近衛兵の兵営が竹橋付近の北の丸に置かれました。1878年(明治11年)に西南戦争の論功と減給に不満を抱いた近衛兵たちが反乱を起し、大隈重信邸に発砲したのです。

現在の竹橋は1926年(大正15年)に関東大震災の復興事業により架設されたものでコンクリート製のアーチ型です。1993年(平成5年)には補強改修工事がなされ、周囲には東京国立近代美術館、科学技術館、日本武道館などがあります。たくさんの歴史を目撃してきた竹橋は現在もこれからも歴史を刻み続けていくことでしょう。


小川町 由来 [東京都]

神田「小川町」の由来は何でしょう?

江戸時代において小川町は現在の神田の西側半分をさして呼ばれていました。その昔、鷹狩に使うための鷹が飼育されており、鷹匠がそのあたりに住んでいたことから「元鷹匠町」と言われていたそうですが、1693年(元禄六年)に小川町と呼ばれるようになりました。

名前の由来は清らかで美しい小川が流れていたからと言われています。また別の説としては「小川の清水」と名付けられた池があったからとも言われています。またまた別の説では江戸城を築いた室町時代の武将太田道灌が小川町の風景を見て「むさい野の小川の清水たえずして岸の根芹をあらひこそすれ」とうたを詠んだことが由来ではないかとも言われています。

1923年(大正12年)に関東大震災があった後、復興都市計画により区画整理が行われ、町名も変わりました。1947年(昭和22年)神田区と麹町区が合併して合併し千代田区となり、現在の神田「小川町」が誕生しました。小川町は数々の有名人のゆかりの地ともなりました。

小川町一丁目の日本新聞社で勤務していた俳人正岡子規、二丁目の現代の東京理科大学に通っていた作家夏目漱石、三丁目に住んでいた小説家永井龍男など文芸界の大物がこの地に存在していました。今はオフィスビルが立ち並ぶ神田「小川町」、清らかな小川は見えませんがその名前が証しし続けています。


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